「神」
なんか、定義づけても意味ないような気がしますが。
個々の人間はみんな違う宇宙をもっています。宇宙の中心は個々の人間自身です。
だからだれしも神。僕もあなたも本来的にみんな神。これを前提として・・・。
僕的に神宣言をすることにどういう意味があるか・・・
それは自分の価値観と傲慢さをすべて肯定するってことです。
まどわされずに生きようってこってす。
あー、言葉にするとなんともちんぷちっくですね。
ちなみに傲慢と独善は違うので注意が必要です。独善に陥らないよう努力します。
価値観は他者との出会いによってどんどん変化します。普遍ではありません。
あと、言霊によるフォースが得られないかとおもったりもしましたが、それは怖いのでその方向はさけようと思います。あくまで戯言の範囲内で・・・。
他者に対して「神」とか言うこともありますが、それは僕的にどういうことを意味しているかといいますと・・・。
単純に言って尊敬してるってことです。
特に自分の世界観、価値観をしっかりもっているひとは「神」的だと感じます。
ほかに単純にすごく楽しませてくれる方や好きな方も「神」です。コミュにはいってる作家さんとか全員僕とって「神」です
全人格的に尊敬しているかというと、そうでない場合もあります。
神でも悪いところも良いところもあるのです。
徳が高い神。言葉でいえないけどすごく魅力的な神。いろんな神がいます。
ブログなどで、有名人とか世に出た作家ではないけど、「神」な方にときおり出くあわします。
そんなときはとてもうれしいです。
そういう出会いは大切にしたいと思っています。
有名な神にはあえてコミュニケーションとりたいとかは思わないのですが(受け手であるだけで満足)、隠れた小さな神は話しかけさせてもらったりもします。
そんなかんじかなあ・・・。
いや。なんかよくわかんないかもしれませんね。すみません。ここまでしか言葉にできません。
これにあてはまらない、いろんな意味で「神」をつかってる場合もあると思います。
まあ、個人的な話なんで、あまりきにしないでください。
ちなみに僕は尊敬してる人はいても師匠と呼ぶようなひととかいません。誰の信者でもないので教祖ももちません。
傲慢な人間は力をもちます。邪悪な価値観を世界に対し押し付けようとする人間は神であっても邪神です。そういう神にはならないようにしたいです。
しかし力がないと生きていけません。神宣言はひとつのじっけんであるともいえます。
まあ、あとづけなんですけど。