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2004年~2007年 29歳~32歳の情念ノート

THE JUON/呪怨

映画「THE JUON/呪怨」を観た。


現代人にとって、一番の恐怖とは「孤独」ではないか。
昔、日本には一部を除き、孤独はあまり存在しなかった。説明は省きます。
今はどこを向いても孤独がいっぱい。人と人とのつながりは絶たれゆくばかり。コミュニケーションが断絶した環境にあって、コミュニケーション能力が断絶された人間が増えるのはごく自然ななりゆきであろう。
呪怨の原根となってしまった伽椰子はそういう人間であった。他者との共感能力の欠如、歪んだ愛。歪んだ愛を持ったままに、おそらく成り行きで付き合ってしまった佐伯との間に子供が出来てしまう。そして、その果てのカタストロフ。因果の果てに伽耶子は強力無比な怨霊「呪怨」と化してしまう。
呪怨と化してしまえば、それはもはや装置として機能してしまい、因業のサイクルをますます増幅していく。仏教説話であれば、そこに高名な僧が到来し、鎮め供養し御魂を慰める術をとるのであろうが、この物語にそういう装置はいまだ存在しない。


伽椰子は哀れな女である。
孤独であることは彼女の責任ではない。他者との共感能力を持たなかったことも彼女の責任ではない。よく考えれば彼女は生前人を殺してなどいない。ただ巻き込まれて、装置と化してしまっただけである。


しかし、装置と化してしまった以上、その所業の責任は装置である伽椰子自身にある。救われはしない。ただ哀れである。


この映画の主役は外国人女性である。日本のものであるこの物語に外国人が主役であることが、映画を観るまでは疑問だった。だが、観終わって数日考えるうちに納得した。つまり彼女もまた、日本という異国にやってきて、まわりのひとすべてに心通わせることができない、一時的な共感能力喪失者なのである。


ラスト、彼女は同じ孤独を持つものとして、伽椰子に一瞬だけ共感することができた。死を前にして、伽椰子に殺されることを受け入れたのである。
だから、彼女は生き延びることができた。
しかし、呪怨の因果は終わらなかった。終わらせることができないのが、彼女、伽椰子なのである。


このハリウッド版呪怨にも続編が予定されているとか。
日本版「呪怨2」では、救われるかに見えて、結局救いを得なかった伽椰子。
願わくば彼女に救いが与えられますように。救いとは「終わり」のことである。